Rhapsody in the RV8
900030/ K 15 MGR/ White Gold/ Dealer Demonstration Car

RV8狂騒曲

 1992年、一枚のモノクロ写真がカーマガジンやカーグラフィックに掲載されてから、それははじまった。
 RJのDLRすべてで、「あれいいよね。」と営業スタッフは顧客から囁かれた。
 MGBのシルエットに似たそのクルマは、限定1,400台生産のうち500台が、1年半後の1994年秋から日本向けに発売されると発表された。
 翌94年5月広島の業者がRV8を並行輸入し600万円で発売したが、またたく間に売り切れたというニュースが駆け巡り、試乗記やカラー写真があちこちの雑誌に掲載され、「あれ(RV8)の発売はいつなの?」と問い合わせが全国のDLRに入った。
 6月にDLR関係の内覧会が開催され、価格は430万円(予定)と発表され、(直前に399万円に訂正)見込み客に伝えられ、顧客もDLRの飢餓感を煽った。
 お盆明けRV8発注の日の朝、全国のDLR発注担当は、ネットワークPCの前に座りひたすら発注画面に向かい車両を押さえる。たちまち在庫がなくなった、500台が完売したのは午前11時前後だったと思う。DLRの中でも支店を多く抱え複数の端末を持つ、ファミリー・ローバー名古屋・ファーストカーセンターがその戦いに勝利し、他のDLRやRJ直営店は見込み客4人に引当て1台という状況で、勝利者DLRには午後から全国のDLRから「融通」の電話が入った。その翌日、RJ営業本部は各DLRに対して、見込み発注ではない証拠として「1台30万円の予約金を納めるように」と通達した。こうすることでブランクになっている車両を動かそうとしたが、確実に売れるクルマゆえにどのDLRも30万円を即座に振り込む。

 9月下旬、RV8が顧客に引き渡されはじめた。どの顧客もハンドルの重さに顔を歪めながら、RV8を嬉々として受け取る。この時点までは、ほとんどキャンセルは発生しなかったと言っても良かった。
 10月東京のRJ営業会議では、RV8がデリバリーされない直営店の怒りの声が報告された。
 その席上、”台数命”の役員が「どのくらい売る自信があるの?自分ら。」(京都で日本語覚えた)顧客からの「直営店なのに・・・無いの?」というコンプレインを耳タコで聞かされていた直営店統括は、「世田谷・青山・中野・横浜・大阪・西宮の各店100づつ売れるわ!」とまったく根拠のない数字をあげて台数拡大を迫りました。
その根拠のない数字も「直営がしくじっても、なんとかなるかも・・・」と誰も疑問に思わずトントン拍子に話は進んで、年末には「700台追加輸入決定!」と発表されたわけです。

 「500台限定が全部で1,200台って、そんなアホな。」と全国のDLRはわめきましたが、時すでに遅く追加700台は翌95年異常な早さで日本に送りこまれ(ほとんどがウッドコートグリーン)、「希少価値」という商品魅力の大きな柱を失ったRV8、一気にその商品価値を下げ、最初の500台の時点で予約した顧客にもかなりのキャンセル者が発生した。
 主を失った埠頭に眠るRV8は、95年暮れには、「各DLR1台の試乗車設置」「スマートローン対象」「DLR家族販売」といろいろ手を尽くして販売されたが、元々趣味のクルマ故にそのような施策で販売に拍車がかかるわけでもなく、カタログもなく、ろくな宣伝もされず細々と98年ごろまで新車が販売されていました。(それでも最後の150台ぐらいは、英国に返却しています。)
 販売の現場では、パワステが無いことから、顧客の手離れが早いと評判で、あちこちのDLRで「買い取って欲しい」といわれ困っていたようです。トラブルも多く完全に鬼子扱いのこのクルマは、すでに96年には中古車が結構流通していたと思います。
寄稿、toomuch(ベツニ)氏

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/toomuch/MGX_home.htm